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zoom RSS 長崎 「平和への誓い」 

<<   作成日時 : 2007/08/10 22:09   >>

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あの一発の原子爆弾が、この空でさく裂した日の1945年(昭和20年)8月9日
午前11時2分。

この頃6歳の私は、爆心地より1,3キロほどの家野町の自宅からそう遠くない
小高い丘で、友達とセミ取りに夢中でした。 そこには古びた山小屋があり、
雑木林が茂っていて、緑の木立でセミが合唱していました。

私が、一緒についてきた3歳の妹に虫かごを手渡し、樹の幹のセミに、虫網のさおを伸ばし始めた時でした。急に飛行機の爆音がしました。
驚き、怖くて、うろたえ、母の注意がよぎりました。友達は慌て駆け下りました。

私は、立ちすくむ妹を強引に引きずって、山小屋に逃げ込みました。
その瞬間、真っ白い光と爆音、熱風を浴び、すさまじい破壊が始まりました。

私は、木片・がれきと化した木立や小屋の片隅から、拭き飛ばされて気絶していた妹をかき出しました。

自宅方面は、空も町も赤く染まって見え、その辺りから、衣服が燃えて狂ったようにもがく人、半身焼け焦げた人、肉がえがれて血まみれになった人などが、次々、
丘の峠に逃れてきては、町外れへと消え去りました。

私は、妹を背負ってさまよいました。力尽きて立ちすくんでいました。
だれか助けてくれそうでしたが、私の体を見て、もうダメだろうと、
置き去りにしました。

私は、左下腹部に竹が突き刺さって肉がえぐれ、血を流しながら妹を背負っていました。妹は衣服がこげて血を流し、震えながら「お母さん、お母さん・・」と
か細く母を呼び続けます。
はじめて、「お父さん助けて」と戦死して帰らぬ父が欲しくて
泣き叫びました。
そのころ、爆心地・周辺・いたるところで、7万数千人が亡くなり、私を含めて
七万数千人が傷つきました。

あの一発の原子爆弾は、空前の破壊力で放射能を浴びせ、一瞬にして、無差別
大量殺戮をやってのける地球の人類の悪魔でした。

時を追うごとに増え続ける未曾有の悲惨さ。
今も後遺症に苦しむ多くの被爆者。
あまりにも、不条理であります。

あの日の長崎市民は、みな、だれでも、人類の子であります。

あの日の広島と長崎は、人類の広島と長崎でもあります。

その両市への原爆投下は人類への投下であって、向かうべき人類の真理に
背き続けて、それぞれの立場や都合でそれを正当化し、肯定し、擬制するものではありません。

人類の真理。
それは「平和にいだかれた幸福と繁栄」。
これこそ人類が命をかけて子孫に贈り、未来を託す真理であります。

今、私達はとりまく環境、社会の環境の中で、それぞれの立場や都合で
「よろしく・おかげさまで・ありがとう」言ったり言われたりしていることが
多いと思います。しかし、人の得意とすることで滅びゆくことなく事を成すには、
どのような立場の人でも「平和にいだかれた幸福と繁栄」に向けて進路を取り、
その真理を尋ねて「よろしく・おかげさまで・ありがとう」
言ったりいわれたりするー
そうした勇気と信念を持って、誰もが心豊かな幸福を共有できるバランスの
とれた環境を、みんなの力でつくっていくことが必要なときでは。
そう思えてなりません。

私はこれからも、核兵器のない世界の恒久平和を願って、
足元から微力を尽くす事を申し上げ
「平和への誓い」とさせていただきます。

     平成19年 8月9日 被爆者代表 正林 克記 


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長崎に62回目の夏が巡ってきた。ただ1発の原爆によって地獄を見た日。肉親を失った被爆者たちの悲しみは癒えず、放射能の影にも苦しめられ続けている。平均年齢74歳。次世代に、そして世界に、被爆地の思いを伝えて行かねば――。「あの日」と同じような炎天を見上げた被爆者たちはそっと目を閉じ、平和への祈りを新たにした。

 ◆原爆は悪魔「誰も正当化はできない」…被爆者代表の正林さん◆

 「一瞬にして、無差別大量殺戮(さつりく)をやってのける悪魔でした」

 長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げた被爆者代表の正林(まさばやし)克記さん(68)(長崎市愛宕1)は、多くの市民の命を奪い、苦しめている原爆をこう表現した。

 爆心地から1・3キロ離れた自宅近くの丘で3歳の妹とセミ取りをしていた6歳の時。飛行機のエンジン音が聞こえた。立ちすくむ妹を引っ張り、近くの小屋に飛び込んだ瞬間、真っ白い光と爆音。そして熱風が襲ってきた。

 左下腹部に竹が突き刺さり、肉がえぐれた。衣服が焦げて血を流す妹を背負い、さまよった。「お父さん」。戦死した父を呼び、泣き叫んだ。

 その後数年間、吐血を繰り返した。妹は後遺症のため頭の手術を受けた。元気そうに見えた人たちが突然、血を吐くなどして亡くなっていった。入退院を繰り返していた母も約10年前、がんでこの世を去った。

 「時を追うごとに増え続ける未曽有の悲惨さ。今も、障害に苦しむ多くの被爆者。あまりにも、不条理であります」

 長崎県被爆者手帳友愛会副会長を務め、「誓い」を読み上げる代表に推薦された。

 「誓い」の原稿が完成に近づいたころ、原爆投下を巡る久間前防衛相の「しょうがない」発言が問題となった。数日後、米国のロバート・ジョゼフ核不拡散担当特使が原爆投下の正当性を強調した。

 怒り、むなしさ、危機感――。様々な感情がこみ上げた。「被爆者の思いを伝えなければ」。それまで被爆の状況を中心に記していた「誓い」を大幅に書き直し、自らの心情を率直に吐露する言葉を盛り込んだ。

 「原爆投下は、人類の真理に背き、それぞれの立場や都合で、それを正当化し、肯定するものではありません」

 核兵器廃絶に向け何ができるのか。10年以上、保護司として更生の現場に立ち会ってきた自らの経験をもとに訴えた。

 「これからも、核兵器のない世界の恒久平和を願って、足元から微力を尽くす」

 決意の声が会場に大きく響き渡った。

(2007年8月9日14時30分 読売新聞)


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昨日の長崎の被爆者の方の「平和への誓い」です。
ここの載せるのがいいのかどうか解りませんが・・。
ぺこ <(_ _)>

しばらくは、このような話題が続くと思いますが。。お許し下さい。
無関心でいることが一番怖い!!

少しでも考えていただけたら・・・うれしいです!!


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
かすみさん、おはようございます。
今朝も、あの日の様に暑く照りつけています。平和への誓い、読みました。私は十二歳で原爆に遭いました。今も被爆者たちは原爆症に苦しみながら亡くなっています。原爆の惨禍を二度と繰り返さないよう、核兵器廃絶への決意を新たにしたいと思います。日本政府には、平和憲法を順守してもらいたいです。式典に参加した安倍首相には、長崎、広島の市長の平和宣言に耳を澄せてもらいたい。先月には、久間前防衛相が原爆投下は「しょうがない」と発言し、被爆者や多くの国民の強い怒りを感じたと思います。
昨夜は、さだまさしさんの20年の願いだった、ヒロシマから、♪長崎に向けてのコンサート妻と一緒に楽しみました。私の好きな山崎まさよし、始め多くの歌手の皆さんの歌を聴いて好い夜を過ごしました。。
たるさん
2007/08/11 09:20
たるさん、おはようございます。(=^^=)
本当に今朝も暑いですね。

長いブログを読んでくださってありがとうございます。 たるさんや、他の被爆者の方々の想いを
無視するかのように発言する人たち。それも長崎出身の防衛大臣が・・。信じられない事ですが、同じ国の一市民よりアメリカの方が大切なのでは??と思ってしまうくらいです。国民をより大切にしなければいけない国の代表者がこの有様ですよね。

安部さんも口先だけではなく、きちんと被爆者に耳を傾け、考えていただきたいです。

広島では、昨日放送されたのですは、「夏・広島から」
たるさん、山崎まさよしさんがお好きなのですね。
私も月末の放送を楽しみにしています。

いつもコメントをありがとうございます。
本当に貴重な「想い」を・・ありがたいです。
たるさんや、他の被爆者の思いを無駄にしていかないこと!!それが私達今の世代の使命だと痛切に感じています。
かすみ
2007/08/11 10:44

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